延徳4(1942)年、千葉自胤(よりたね)はこの寺を菩提寺と定め、寺領を寄進し、自ら中興開基となった。 開山堂には開基に位牌をまつり、本堂西側の墓地には自胤の他比丘了雲に墓碑も建てられている。 また、天正19(1591)年、徳川家康は40石の朱印地そ当寺に寄進したが、これに習って歴代将軍が下付 した朱印状が寺宝として秘蔵されている。天保12(1841)年、長崎の人・高島秋帆は幕命により、徳丸ケ原 で洋式砲術の訓練を行ったが、その前夜、当地を本陣とした縁故で遺品類が保存され、顕彰碑も建てられて いる。高島平の地名の因みとなった。
この植物園は、武蔵野の面影を色濃く残し赤塚の丘陵地を活用し、自然や植物がより身近なものとして親しめる ような施設として、1981年に開園。広さ約1ヘクタールの植物園ですが、園内には約600種に樹木・草花・山野草が 植えられ、四季折々の植物の表情を楽しむことができます。
昭和46(1971)年に板橋区仲宿から現在の赤塚に移転した寺院で、徳川家康から10石の朱印地を寄進された 格式ある寺院です。また8代将軍吉宗の時、鷹狩りの際の休息所に指定されるなど、関連する文化財を所有して います。そして境内にある東京大仏は、東京大空襲、関東大震災などの悲惨な戦災・地震が起きないよう願いを こめて、昭和52(1977)年に建立されました。高さ13メートルの青銅製で重さ32オンあり、新東京百景にも選ばれた ほどです。
赤塚城址及び赤塚溜池公園に隣接した郷土資料館は、板橋区の歴史や文化・自然に関する資料、情報の 展示を行い、郷土に関する講習会・講座・体験学習を通じて区民の方に郷土板橋を知っていただくため、情報を 発信しています。
ご本尊は阿弥陀如来。紅梅山來迎安楽寺と号しています。寺伝によると応永三年(1396)尊栄によって創建 されたと伝えられています。御祭神菅原道真を祀る北野神社とは深い関係があり、寺号安楽寺も九州大宰府 天満宮の別当安楽寺に因んだと考えられています。当寺に安置されている聖観音菩薩は、近在にあった旧観音寺 の本尊で徳丸観音と呼ばれていましたが、明治29年に旧観音寺が安楽寺と合寺した際に当寺に移されたものです。
高島平の地は、古くは徳丸ケ原と呼ばれる将軍家の鷹狩場。原といっても丘陵のあり、赤塚公園はその丘陵の 一部を利用しています。幅約70m、長さ2.3Kmの東西に延びる丘陵地は、高さ20mほどあり、全体がムクの木、 アカメガシワ、エノキ、イヌシデ、シロダモ、エゴノキ、ヌルデなどの木々で覆われています。すぐそばに高速道路が 走っていることを忘れさせてくれます。
一部引用:赤塚植物園HP、板橋区、未来をはぐくむ緑と文化のかがやくまち板橋、板橋区立郷土資料館HP、 猫の足跡・埼玉の寺社、他